8otto
2008年05月16日
今日は8ottoについて紹介
8otto(オットー)は大阪府出身の4人組バンドである。
来歴
1999年に前身となるバンド「Sugar for a dime」を結成。その後メンバーチェンジを繰り返し、2004年8月に現在のメンバー・バンド名となる。マエノソノマサキがボーカルを務める、ドラムボーカルの編成となっている。自主制作CDの発表や精力的なライブ活動を行い、同年11月には渡米しライブやレコーディングを行う。ザ・ストロークスのセカンドアルバム「ROOM ON FIRE」のエンジニア、ヨシオカトシカズの全面プロデュースの下、2006年7月にファーストアルバム「we do vibration」を発売。SUMMER SONIC 06への出演、THE RAPTURE JAPAN TOURのオープニングアクトの出演を経て、2006年10月にアルバム「Real」でBMG JAPANよりメジャーデビューした。
メンバー
リョウ(ギター・コーラス)
セイエイヨシムラ(ギター)
TORA(ベース)
マエノソノマサキ(ドラム・ボーカル)
アルバム
we do viberation(2006年7月26日)
RIWO
0zero
NEW2
KATANA
ボンゾ
Nu-Sieezze
レモンティー
C
EASY POP
AF
RIGHT IN DARKNESS
VOO DOO バウァー
Real(2007年10月10日)
Counter Creation
1977
ROUND&ROLL
徒夢
17
GH
Fair Child
HEY JAH
絵
Chal
Fake
MASSIVE
Running Pop'(2007年5月23日)
China
Running POP
Say
D.D.D
愛を憂う
8otto(オットー)は大阪府出身の4人組バンドである。
来歴
1999年に前身となるバンド「Sugar for a dime」を結成。その後メンバーチェンジを繰り返し、2004年8月に現在のメンバー・バンド名となる。マエノソノマサキがボーカルを務める、ドラムボーカルの編成となっている。自主制作CDの発表や精力的なライブ活動を行い、同年11月には渡米しライブやレコーディングを行う。ザ・ストロークスのセカンドアルバム「ROOM ON FIRE」のエンジニア、ヨシオカトシカズの全面プロデュースの下、2006年7月にファーストアルバム「we do vibration」を発売。SUMMER SONIC 06への出演、THE RAPTURE JAPAN TOURのオープニングアクトの出演を経て、2006年10月にアルバム「Real」でBMG JAPANよりメジャーデビューした。
メンバー
リョウ(ギター・コーラス)
セイエイヨシムラ(ギター)
TORA(ベース)
マエノソノマサキ(ドラム・ボーカル)
アルバム
we do viberation(2006年7月26日)
RIWO
0zero
NEW2
KATANA
ボンゾ
Nu-Sieezze
レモンティー
C
EASY POP
AF
RIGHT IN DARKNESS
VOO DOO バウァー
Real(2007年10月10日)
Counter Creation
1977
ROUND&ROLL
徒夢
17
GH
Fair Child
HEY JAH
絵
Chal
Fake
MASSIVE
Running Pop'(2007年5月23日)
China
Running POP
Say
D.D.D
愛を憂う
LINKINPARK
2008年05月13日
リンキン・パーク (Linkin Park) は、アメリカ合衆国のバンド。1996年に結成されたバンドSuper Xeroを前身としている。幅広いジャンルの音楽要素を取り入れており、オルタナティブ・ミュージックの独自のミュージック・センスを持つ。2000年にリリースしたデビューアルバム、『ハイブリッド・セオリー』で一躍有名となった。
バンドの結成
マイク・シノダ (Mike Shinoda) とブラッド・デルソン (Brad Delson) は、南カリフォルニア、ロサンゼルスのアゴーラ・ヒルズ (Agoura Hills) にある中学、高校からの親友。鑑賞したパブリック・エナミーとアンスラックスのコンサートに感銘を受けた二人はバンドの結成を決意[1]。アゴーラ高校 (Agoura High School) の卒業を機に、友人だったロブ・ボードン (Rob Bourdon) を誘い、バンドSuper Xeroを結成する[2]。(ブラッドとロブは、以前Relative Degreeというバンドで一緒に活動していた[2])その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でブラッドがアパートをシェアしていたルームメイト、フェニックス (Dave "Phoenix" Farrell) と、マイクがパサデナ (Pasadena) のArt Center College of Designで知り合ったジョー・ハーン (Joe Hahn) (イラストの勉強をしていた。)が加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されXeroとなる[2]。5人組となった彼らは、さらにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した[2][3]。
[編集] メジャーデビュー(2000年~2002年)
2000年10月、ドン・ギルモアのプロデュースで1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』 (Hybrid Theory) をリリース。多くの音楽ファンから好評を受けビルボード・アルバムチャート (Billboard 200) で初登場16位、最高位2位を記録(以下、「全米○位」と表記)。現在までに1500万枚以上を売り上げ、アメリカで2001年に最も売れたアルバムに認定された[1]。収録曲のいくつかは、映画のドラキュリア、リトル★ニッキー、バレンタインなどでフィーチャーされた。2001年にデビューシングル『One Step Closer 』をリリースし、同年11月、初の映像作品集『フラット・パーティー』 (Frat Party at the Pankake Festival) を4thシングル『In the End』と同時にリリースした。
アルバムの大ヒットを機にオズフェストや「オールモスト・アコースティック・クリスマス」(ラジオ局KROQ主催)、「ファミリー・バリュー・ツアー」など多くのツアー、コンサートに参加。オズフェストではブラック・サバス、マリリン・マンソン、スリップノット、パパ・ローチ、ディスターブド、クレイジー・タウン、ブラック・レーベル・ソサイアティなどと競演した[2]。この年には324本のライブをこなした。2001年11月、バンドと親しいJessica Bardasの提案で、公式ファンクラブ「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」 (Linkin Park Underground、LPU) が設立される[2]。2002年には自らが立ち上げたコンサート・ツアー、プロジェクト・レボリューション (Projekt Revolution) の初公演が行われた。初のフィーチャリングはアデマ (Adema)、サイプレス・ヒル (Cypress Hill)、DJ Z-Trip[2]。
2002年に開催された第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ[5][6]、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル『クローリング』 (Crawling) でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。[1]ちなみに授賞式の際、会場入り口で写真撮影に応じていた時に受賞がアナウンスされてしまい、受賞決定の瞬間をメンバーたちは聞けなかったというエピソードがある。
同年7月、『ハイブリッド・セオリー』のリミックス・アルバム『リアニメーション』 (Reanimation) をリリースし、全米初登場2位を獲得。発売週だけで27万枚以上を売り上げ[7]、リミックス・アルバムとしての初動売り上げ記録を更新した。
[編集] 2003年~2006年
2003年3月、2ndアルバム『メテオラ』 (Meteora) をリリースし、全米初登場1位を獲得、現在までに1000万枚以上の売り上げを記録している。同年11月には1stライヴ・アルバム『ライブ・イン・テキサス』 (Live In Texas) を、2004年にはラッパー、ジェイ・Z (Jay-Z) とのマッシュ・アップ作品『コリジョン・コース』 (Collision Course) をリリースし、全米初登場1位となった。なお、ジェイ・Zは2005年にバンドMCのマイク・シノダが立ち上げたサイド・プロジェクト「フォート・マイナー」に、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
2003年4月8日から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う。」と述べ、軍人らを称えた[8]。2004年に東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた[9]。また2005年にはチェスター・ベニントンが、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加した[10]。(モトリー・クルーのヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの。)
2006年、ジェイ・Z feat. リンキン・パークの『ナム/アンコール』 (Numb/Encore) で第48回グラミー賞の最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション部門を受賞[11]。開会式でポール・マッカートニー、ジェイ・Zとともに『ナム/アンコール』『イエスタデイ』を披露した。また、サマーソニック06(ゼロシックス)のヘッドライナーとして来日、新曲『QWERTY』を披露した。その前日には単独公演も行った。
[編集] 2007年~現在
2007年5月、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、実に4年2ヶ月ぶりとなる3rd・オリジナルアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』 (Minutes to Midnight) をリリース。音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こったものの、アメリカ、日本を初め世界31ヶ国で1位を獲得[9]。そのほとんどの国々でプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクの認定を受けた。また、アルバムからの1stシングル『What I've Done』が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画、「トランスフォーマー」の主題歌に使用された。
同年7月に世界7大都市で同時開催されたライヴ・アース (LIVE EARTH) の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。
現メンバー
チェスター・ベニントン / Chester Bennington(本名:Chester Charles Bennington、1976年3月20日 -)
ボーカル担当。アリゾナ州フェニックス生まれ。
バンド系らしからぬフレーム眼鏡が特徴(視力矯正をしたため、最近はあまりかけなくなった)。刺青(タトゥー)が好きで体中に無数の刺青をしている。離婚、再婚歴があり、それぞれの妻との間に一人ずつの子供がいる。幼いころから病弱で、デビュー後も毒蜘蛛に刺されたり、食道ヘルニアになって休養をとったりした。透き通るような綺麗な声と、喉を枯らすような声で歌うこともある。
リンキン・パーク以前にGray Dazeというバンドに参加していた。モトリー・クルーと共演し、ビンス・ニールと「HOME SWEET HOME」をデュエットした。左利き。4人の息子がいる。
また、フーバスタンクの曲「SAME DIRECTION」のPVに、ほんの一瞬であるが出演している。
マイク・シノダ / Mike Shinoda(本名:Michael Kenji Shinoda、1977年2月11日 -)
ボーカル/ギター/キーボード担当。日系アメリカ人(日系三世)。
実質上のバンドのリーダー格。作詞・作曲の中心を担う。2005年、サイドプロジェクトとしてフォート・マイナー(Fort Minor)を立ち上げ1stアルバム『ザ・ライジング・タイド』(The Rising Tied)を発表。
チャイコフスキーの遠縁という噂があったが、本人がMy Space上のブログで『俺はロシア人の血を引いてない』と否定した。美大卒業で、Mr. Hahnと共にCDジャケットやTシャツのデザインなども手がけている。アンナという奥さんがいる。
ブラッド・デルソン / Brad Delson(本名:Bradford Phillip Delson、愛称:Big Bad Brad、1977年12月1日 -)
ギター担当。カリフォルニア州アゴーラ生まれ。ユダヤ系アメリカ人。UCLA卒。
UCLAではマスコミ科に所属。
アフロ頭が特徴。~LikeまたはLike~(~みたいな)が口癖。マイクとは幼馴染。
フェニックス / Dave "Phoenix" Farrell(本名:David Michael Farrell、1977年2月8日 -)
ベース担当。マサチューセッツ州プリマス生まれ。UCLA卒。あだ名はフィー。
UCLAでは心理学を専攻。
ブラッドとは大学時代のルームメイト。メジャー・デビュー前に他のバンドに参加する為、一時的に離脱していた(クローリングのPV撮影より復帰)。2001年に結婚した。
ロブ・ボードン / Rob Bourdon(本名:Robert Gregory Bourdon、1979年1月20日 -)
ドラムス担当。カリフォルニア州キャラバサス生まれ。UCLA卒。ユダヤ系アメリカ人。趣味でピアノを弾く。
エアロスミスのライブを見てドラマーになる決意をした。
ジョー・ハーン / Joe Hahn(本名:Joseph Hahn、1977年3月15日 -)
DJ。韓国系アメリカ人(二世)。
ガンダムなどの日本のアニメが好きでたびたび来日。いくつかのPVの監督も務めている。(「SOMEWHERE I BELONG」のPVではガンプラが登場している。)監督を担当しているときには「MR.ハーン」と呼ばれているときがある。
シングル
発売年 シングル 収録アルバム
2000年 One Step Closer ハイブリッド・セオリー
2001年 Crawling
Papercut
In The End
2002年 Pts.Of.Athrty / H! Vltg3 リアニメーション
2003年 Somewhere I Belong メテオラ
Faint
Numb
2004年 From The Inside
Lying from You
Breaking the Habit
Numb / Encore コリジョン・コース
2007年 What I've Done ミニッツ・トゥ・ミッドナイト
Bleed It Out
Shadow of the Day
2008年 Given Up
Leave Out All The Rest
バンドの結成
マイク・シノダ (Mike Shinoda) とブラッド・デルソン (Brad Delson) は、南カリフォルニア、ロサンゼルスのアゴーラ・ヒルズ (Agoura Hills) にある中学、高校からの親友。鑑賞したパブリック・エナミーとアンスラックスのコンサートに感銘を受けた二人はバンドの結成を決意[1]。アゴーラ高校 (Agoura High School) の卒業を機に、友人だったロブ・ボードン (Rob Bourdon) を誘い、バンドSuper Xeroを結成する[2]。(ブラッドとロブは、以前Relative Degreeというバンドで一緒に活動していた[2])その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でブラッドがアパートをシェアしていたルームメイト、フェニックス (Dave "Phoenix" Farrell) と、マイクがパサデナ (Pasadena) のArt Center College of Designで知り合ったジョー・ハーン (Joe Hahn) (イラストの勉強をしていた。)が加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されXeroとなる[2]。5人組となった彼らは、さらにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した[2][3]。
[編集] メジャーデビュー(2000年~2002年)
2000年10月、ドン・ギルモアのプロデュースで1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』 (Hybrid Theory) をリリース。多くの音楽ファンから好評を受けビルボード・アルバムチャート (Billboard 200) で初登場16位、最高位2位を記録(以下、「全米○位」と表記)。現在までに1500万枚以上を売り上げ、アメリカで2001年に最も売れたアルバムに認定された[1]。収録曲のいくつかは、映画のドラキュリア、リトル★ニッキー、バレンタインなどでフィーチャーされた。2001年にデビューシングル『One Step Closer 』をリリースし、同年11月、初の映像作品集『フラット・パーティー』 (Frat Party at the Pankake Festival) を4thシングル『In the End』と同時にリリースした。
アルバムの大ヒットを機にオズフェストや「オールモスト・アコースティック・クリスマス」(ラジオ局KROQ主催)、「ファミリー・バリュー・ツアー」など多くのツアー、コンサートに参加。オズフェストではブラック・サバス、マリリン・マンソン、スリップノット、パパ・ローチ、ディスターブド、クレイジー・タウン、ブラック・レーベル・ソサイアティなどと競演した[2]。この年には324本のライブをこなした。2001年11月、バンドと親しいJessica Bardasの提案で、公式ファンクラブ「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」 (Linkin Park Underground、LPU) が設立される[2]。2002年には自らが立ち上げたコンサート・ツアー、プロジェクト・レボリューション (Projekt Revolution) の初公演が行われた。初のフィーチャリングはアデマ (Adema)、サイプレス・ヒル (Cypress Hill)、DJ Z-Trip[2]。
2002年に開催された第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ[5][6]、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル『クローリング』 (Crawling) でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。[1]ちなみに授賞式の際、会場入り口で写真撮影に応じていた時に受賞がアナウンスされてしまい、受賞決定の瞬間をメンバーたちは聞けなかったというエピソードがある。
同年7月、『ハイブリッド・セオリー』のリミックス・アルバム『リアニメーション』 (Reanimation) をリリースし、全米初登場2位を獲得。発売週だけで27万枚以上を売り上げ[7]、リミックス・アルバムとしての初動売り上げ記録を更新した。
[編集] 2003年~2006年
2003年3月、2ndアルバム『メテオラ』 (Meteora) をリリースし、全米初登場1位を獲得、現在までに1000万枚以上の売り上げを記録している。同年11月には1stライヴ・アルバム『ライブ・イン・テキサス』 (Live In Texas) を、2004年にはラッパー、ジェイ・Z (Jay-Z) とのマッシュ・アップ作品『コリジョン・コース』 (Collision Course) をリリースし、全米初登場1位となった。なお、ジェイ・Zは2005年にバンドMCのマイク・シノダが立ち上げたサイド・プロジェクト「フォート・マイナー」に、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
2003年4月8日から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う。」と述べ、軍人らを称えた[8]。2004年に東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた[9]。また2005年にはチェスター・ベニントンが、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加した[10]。(モトリー・クルーのヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの。)
2006年、ジェイ・Z feat. リンキン・パークの『ナム/アンコール』 (Numb/Encore) で第48回グラミー賞の最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション部門を受賞[11]。開会式でポール・マッカートニー、ジェイ・Zとともに『ナム/アンコール』『イエスタデイ』を披露した。また、サマーソニック06(ゼロシックス)のヘッドライナーとして来日、新曲『QWERTY』を披露した。その前日には単独公演も行った。
[編集] 2007年~現在
2007年5月、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、実に4年2ヶ月ぶりとなる3rd・オリジナルアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』 (Minutes to Midnight) をリリース。音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こったものの、アメリカ、日本を初め世界31ヶ国で1位を獲得[9]。そのほとんどの国々でプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクの認定を受けた。また、アルバムからの1stシングル『What I've Done』が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画、「トランスフォーマー」の主題歌に使用された。
同年7月に世界7大都市で同時開催されたライヴ・アース (LIVE EARTH) の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。
現メンバー
チェスター・ベニントン / Chester Bennington(本名:Chester Charles Bennington、1976年3月20日 -)
ボーカル担当。アリゾナ州フェニックス生まれ。
バンド系らしからぬフレーム眼鏡が特徴(視力矯正をしたため、最近はあまりかけなくなった)。刺青(タトゥー)が好きで体中に無数の刺青をしている。離婚、再婚歴があり、それぞれの妻との間に一人ずつの子供がいる。幼いころから病弱で、デビュー後も毒蜘蛛に刺されたり、食道ヘルニアになって休養をとったりした。透き通るような綺麗な声と、喉を枯らすような声で歌うこともある。
リンキン・パーク以前にGray Dazeというバンドに参加していた。モトリー・クルーと共演し、ビンス・ニールと「HOME SWEET HOME」をデュエットした。左利き。4人の息子がいる。
また、フーバスタンクの曲「SAME DIRECTION」のPVに、ほんの一瞬であるが出演している。
マイク・シノダ / Mike Shinoda(本名:Michael Kenji Shinoda、1977年2月11日 -)
ボーカル/ギター/キーボード担当。日系アメリカ人(日系三世)。
実質上のバンドのリーダー格。作詞・作曲の中心を担う。2005年、サイドプロジェクトとしてフォート・マイナー(Fort Minor)を立ち上げ1stアルバム『ザ・ライジング・タイド』(The Rising Tied)を発表。
チャイコフスキーの遠縁という噂があったが、本人がMy Space上のブログで『俺はロシア人の血を引いてない』と否定した。美大卒業で、Mr. Hahnと共にCDジャケットやTシャツのデザインなども手がけている。アンナという奥さんがいる。
ブラッド・デルソン / Brad Delson(本名:Bradford Phillip Delson、愛称:Big Bad Brad、1977年12月1日 -)
ギター担当。カリフォルニア州アゴーラ生まれ。ユダヤ系アメリカ人。UCLA卒。
UCLAではマスコミ科に所属。
アフロ頭が特徴。~LikeまたはLike~(~みたいな)が口癖。マイクとは幼馴染。
フェニックス / Dave "Phoenix" Farrell(本名:David Michael Farrell、1977年2月8日 -)
ベース担当。マサチューセッツ州プリマス生まれ。UCLA卒。あだ名はフィー。
UCLAでは心理学を専攻。
ブラッドとは大学時代のルームメイト。メジャー・デビュー前に他のバンドに参加する為、一時的に離脱していた(クローリングのPV撮影より復帰)。2001年に結婚した。
ロブ・ボードン / Rob Bourdon(本名:Robert Gregory Bourdon、1979年1月20日 -)
ドラムス担当。カリフォルニア州キャラバサス生まれ。UCLA卒。ユダヤ系アメリカ人。趣味でピアノを弾く。
エアロスミスのライブを見てドラマーになる決意をした。
ジョー・ハーン / Joe Hahn(本名:Joseph Hahn、1977年3月15日 -)
DJ。韓国系アメリカ人(二世)。
ガンダムなどの日本のアニメが好きでたびたび来日。いくつかのPVの監督も務めている。(「SOMEWHERE I BELONG」のPVではガンプラが登場している。)監督を担当しているときには「MR.ハーン」と呼ばれているときがある。
シングル
発売年 シングル 収録アルバム
2000年 One Step Closer ハイブリッド・セオリー
2001年 Crawling
Papercut
In The End
2002年 Pts.Of.Athrty / H! Vltg3 リアニメーション
2003年 Somewhere I Belong メテオラ
Faint
Numb
2004年 From The Inside
Lying from You
Breaking the Habit
Numb / Encore コリジョン・コース
2007年 What I've Done ミニッツ・トゥ・ミッドナイト
Bleed It Out
Shadow of the Day
2008年 Given Up
Leave Out All The Rest


